胚培養士の奥平裕一です。
不妊症の約50%は男性不妊と言われ、男性不妊の発生率は過去数十年にわたって増加していることが報告されています。精子無力症(全体の運動率が40%未満または前進運動精子の割合が32%未満)は、男性不妊の主な原因の一つです。これまでに精子の運動性を調節する分子メカニズムについて幅広い研究が行われてきました。しかし、精子無力症の病態はまだ完全には解明されていません。
最近報告されたこの論文では、ヒト精巣に特異的に発現している精巣発生関連遺伝子1(TDRG1)に注目し、TDRG1とヒト精子の運動性との関連を調べています。
Testis developmental related gene 1 (TDRG1) encodes a progressive motility-associated protein in human spermatozoa
Human Reproduction, Volume 36, Issue 2, February 2021, Pages 283–292, https://doi.org/10.1093/humrep/deaa297
対象・方法
精子サンプルは、2018年2月から2019年1月に中国のある生殖医療センターを訪れた正常精子男性(27人)と精子無力症男性(25人)から採取されました。それぞれの精子のTDRG1発現レベル、前進運動性を比較しています。そして、細胞透過性ペプチド(CPP)を用いて人為的にTDRG1を精子に導入し、前進運動性の変化を評価しています。また、TDRG1と他の精子運動関連タンパク質との関わりについても調べています。
結果
TDRG1の平均レベルは、精子無力症の男性の精子では正常男性の精子と比較して有意に減少し(P < 0.05)、前進運動精子の割合と正の相関がありました(r2 = 0.75、P = 0.0001)。
CPPを用いた精子へのTDRG1の導入は、前進運動性を有意に増加させ(P < 0.05)、精子無力症の男性から正常レベルへの精子の前進運動性を改善しました(21.6%から32.5%)。
TDRG1は、他の精子運動性関連タンパク質とタンパク質複合体を形成し、TDRG1の発現低下は他の精子運動性関連タンパク質の減少と関連していました。
解説
約1000個の遺伝子がヒトの精巣でのみ発現していることが確認されていますが、それらの多くの機能はまだわかっていません。著者らは以前の研究で、新たなヒト精巣特異的遺伝子であるTDRG1を同定しています。TDRG1タンパク質は、精子形成後期の精子細胞に多く存在し、ヒト精子の中片部、主部、鞭毛に局在しています。その局在から、ヒト精子の運動性の調節に関与していることが示唆されていましたが、TDRG1の生理学的役割は解明されていませんでした。
本研究により、精子におけるTDRG1の発現は、正常男性と比較して精子無力症の男性では低下しており、精子の前進運動性と正の相関があることが明らかになりました。また、TDRG1の発現低下は、他の精子運動性関連タンパク質の発現レベルにも影響を及ぼし、結果的に精子の運動性に不可欠な経路を阻害する可能性が示唆されました。これらの結果は、精子の運動性のメカニズムに新たな知見を与え、精子無力症の診断・治療に貢献する可能性があります。