胚培養士の奥平です。
今回は、顕微授精(ICSI)での完全受精障害を改善する治療に関して新たなアプローチを示した論文を紹介致します。
Identification and treatment of men with phospholipase Cζ-defective spermatozoa.
Cheung S, Xie P, Parrella A, Keating D, Rosenwaks Z, Palermo GD.
Fertil Steril. 2020 Sep;114(3):535-544.
ICSIは、卵子に1個の精子を直接注入する方法であり、現状では最も高度な生殖補助医療です。しかし、ICSIで確実に精子を卵子内に注入出来ていても、全く受精していない、もしくは受精率が著しく低いことがあり、これを完全受精障害と呼んでいます。
ICSI後に受精が成立する為には、1) 卵子細胞質内で精子頭部から卵子活性化因子が放出、2) 卵子の小胞体からのCa2+の放出を誘導、3) Ca2+オシレーションの発生、4) 卵子が活性化(減数分裂の再開)の過程が必要です。これらの過程がうまくいかないと完全受精障害が起こります。また、精子が持つ卵子活性化因子はホスホリパーゼCζ(PLCζ)と考えられており、本論文の鍵となっています。
一般的に、ICSIでの受精率が不良だった場合、次周期にはICSI後にCa2+イオノフォア等を用いて人為的に卵子を活性化させる処置がよく行われ、当院でも実施しています。しかし、完全受精障害の原因が精子、卵子どちらにあるかについて言及することはほぼありません。そこで本論文では、完全受精障害患者の精子のPLCζの有無を指標としてスクリーニングを行い、原因が精子側か卵子側かに分け、それぞれに適した処置によって完全受精障害の改善を試みています。
結果
本論文は、ICSIの受精率が10%以下の成績履歴を持つ患者カップル76組を対象に研究を行っています。先ず男性患者の精子中のPLCζを持つ精子の割合を調べ、30%以上ならPLCζ検査陰性(卵子側に原因がある)、30%未満ならPLCζ検査陽性(精子側に原因がある)としました。PLCζ検査の結果、52組が陰性、24組が陽性でした。その後、陰性と陽性グループで別々の処置が試みられています。
PLCζ検査陰性のグループでは、排卵誘発方法の修正が行われ、ICSIの受精率(修正区 59.0% vs. 対照区 2.1%)と臨床妊娠率(修正区 32.9% vs. 対照区 0%)の著しい改善が得られました。
PLCζ検査陽性のグループでは、マウス卵活性化試験の実施や、PLCζおよび精子形成等に関与する遺伝子の発現を調べ、精子側に原因があることを再確認しています。その後、人為的な卵子活性化処理を併用したICSIを行うことで、受精率(処理区 42.1% vs. 対照区 9.1%)と臨床妊娠率(処理区 36.0% vs. 対照区 0%)の著しい改善結果が得られています。また、その際2種類の活性化処理方法を用いています。一つ目は、注入前の精子をストレプトリジンO(精子膜に穴を開けDNAの脱凝縮を促進させる)で処理後、ICSIを行い、卵子にCa2+イオノフォア処理を行う方法(AGT-initial区)。二つ目は、注入前の精子をCa2+イオノフォアで前処理し、Ca2+イオノフォアと共に精子を注入し、卵子にCa2+イオノフォア処理を行う方法(AGT-revised区)。それぞれの受精率および臨床妊娠率は、AGT-initial区では37.6% と21.1%、AGT-revised区では45.9%と83.3%となり、AGT-initial区の方がより良好な結果となりました。
考察
精子のPLCζ検査による完全受精障害患者のスクリーニングは、十分に機能しており、原因が精子側か卵子側かに区別することが出来ました。結果からおよそ70%(76組中52組)が卵子側に原因があることが分かりました。主な卵子側の要因として、卵子細胞質の成熟不全が考えられています。受精に適した卵子は、核が成熟(第一極体が放出されている)だけではなく、細胞質も十分に成熟している必要があります。そこで、著者らは排卵誘発の方法を変え、適切な成熟に達するよう調整し、良好な結果を得ています。また、残りの30%(76組中24組)の患者については、ICSI時に人為的な卵子活性化処理を併用することにより、良好な結果を得ています。この結果から、著者らは、完全受精障害の原因が精子側にあると分かった場合のみ人為的な卵子活性化処理を行うことを推奨しています。
私見
完全受精障害の発生頻度は稀ですが、形がきれいな卵子と元気な精子を用いてICSIを行っても受精が成立しない結果は恐怖を覚えます。さらに不妊治療の最後の手段と言っても過言ではないICSIで結果が出なかった時の患者様のショックは計り知れないものだと思われます。しかし、今回ご紹介したように改善する方法はいくつかあり、次周期に良好な結果が得られる希望は十分にあります。本論文は、患者様個々の原因に応じて適切な生殖補助医療を提供していくことの重要さを改めて痛感する内容でした。