敬老

敬老

理事長の中村嘉孝です。

不妊治療の途中で、しばらく治療を中断される方がおられますが、その理由で、比較的多いのが、親の介護です。
そして、数年経ってから体外受精を再開されるのですが、そのときには以前の時と違って卵子がとれにくくなってしまっていることも、しばしばあります。

親を大切にする尊いお気持ちはわかるのですが、これは本末転倒なことであり、いつも残念に思います。
生殖とはreproduction、すなわち再生産のことです。
親が子を生み、その子がまた、子を産んで親となる。
当たり前のことですが、この再生産のプロセスがあるから人間社会が続いているのです。

童話の『うば捨て山』では、掟に反して物置に匿っていた老親が、年の功で難問を解決、それを知った領主によって姥捨ての掟が廃止されるというハッピーエンドですが、ご存知の通り、深沢七郎原作で映画にもなった『楢山節考』では趣が全く異なり、物語の最後は、こんな風に締めくくられます。

「母を山に捨ててきた翌朝、息子の妻の大きなお腹には、昨日まで母が締めていた帯があった」。
厳しい現実の中でも、生命の糸を紡ぎ続けることこそが、人間のあるべき姿なのだと思います。

さて、ついに人口減少社会に入った日本ですが、現在の日本社会では、年金問題をはじめ、高齢者への手厚い政策が、若年世代への足枷になっています。
医学界でもそうですね。重鎮といえば聞こえがよいですが、前の前の教授などという方々が「ご活躍」中です。医師会でも、すでに四十半ばの私が、「まだ役員には早すぎる」と先日もいわれました。
老害も甚だしいですね。

えっ、「じゃあ、お前が年を取った時にはどうするんだ」って?
いや、幸い定年がないものですから、いつまでもオーク会に居座るつもりでおりますけど…。