医師の田口早桐です。
男性から女性に性別変更した女性(Aさんとします)と、Aさんのパートナー(Bさんとします)が出産した2人の娘との法的な親子認定を巡る訴訟で、東京家裁が認知を認めない判決を出しました。Aさんは性別変更前に精子を凍結、Bさんはその精子を用いて2人の子供を出産していました。分かりにくいので、図を貼っておきます。
朝日新聞より:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20220228001761.html
話題になっているのは、その関係の複雑さ分かりにくさと、このカップルの別の裁判では、子供が原告になってAさんに認知を求めており、利害の一致している者同士が原告と被告になっているという点でしょう。
ちなみに妊娠は生殖医療を用いていないとのことなので、人工授精だと思われますが、我々生殖医療の世界からの視点では単に、「A精子とB卵子からの胚がB子宮に着床」ということだけです。シンプル。
これで思い出したのが、以前あった、性別変更して男性になったCさんと法的な妻であるBさんの間の子供の出生届が受理されない、という件での訴訟。明らかにCさんの生物学的な子供ではないから(提供精子)、ということで受理されなかったものの、最終的に最高裁でCさんが父であると認定されました。
私は法律に関して詳しいことは分かりませんが、今後このような生物学的な性と社会での性の不一致による問題がいろいろ出てくると思います。性同一性障害は、今でこそ性別変更したり、カミングアウトする方も多くいますが、以前は誰にも言えずに苦しんでいた方が今よりもっと多くいたでしょうね。あと、話が逸れますし、個人的な意見ですが、性同一性障害と一言で言ってもいろんな違和感の覚え方があると思うので、性別変更のために性別適合手術(乳房切除と子宮卵巣摘出)は絶対必要なのか疑問を感じます。本人が望んで受ける場合は別ですが。
もっというと、生物学的な性、といっても、精巣性女性化症候群といって、精巣があるにも関わらず、男性ホルモンに対して反応せずに外性器が女性になるという、染色体と外性器の性の不一致疾例もあり、曖昧なものなのです。
何かといえば「子の福祉」と言いますが、子供に必要なものって、母性豊かな養育者、だけではないかという気がします。それに加えて、どこから生まれても誰から生まれても、社会全体が子供に優しく優しくあってほしい、と切に願います。