メープルシロップ尿症

メープルシロップ尿症

「Genome First(ゲノム・ファースト)」という言葉をご存じでしょうか。個々の患者様のゲノム情報を医療や健康管理の最前線に置くことを目指すアプローチを指します。

「ゲノムファースト」はより良い生殖医療を考えるにあたって非常に密接です。先日、院内で勉強会が開催され、メープルシロップ尿症の症例報告より、今後の治療の可能性について議論しました。Dr.や培養士が参加し、充実した学びの場となりましたのでご紹介させていただきます。

メープルシロップ尿症(MSUD)は、分枝鎖アミノ酸(BCAA)の代謝に関与する酵素複合体の欠損により引き起こされる遺伝性代謝疾患です。患者様の尿や耳垢がメープルシロップのような甘い匂いを放つことが病名の由来となっています。主に常染色体劣性遺伝により発症します。
分枝鎖アミノ酸(BCAA)とはロイシン、イソロイシン、バリンの3つの必須アミノ酸をさし、これらはタンパク質の重要な構成要素であり、エネルギー供給や筋肉の修復に重要です。しかし、MSUDの患者様ではBCAAを代謝する酵素、分岐鎖αケト酸デヒドロゲナーゼ複合体(BCKD複合体)の欠損があり、血中や尿中にBCAAやその代謝中間体が蓄積します。その結果、重篤な神経学的障害や死に至ることがあります。MSUDの症状は新生児期から出ることが多く、主な症状には以下が含まれます。

  • 新生児期の嗜眠
  • 授乳困難
  • 嘔吐
  • 筋緊張低下(低張性)
  • 異常な動き(舞踏病様運動)
  • 代謝性アシドーシス
  • 高アンモニア血症
  • 昏睡

ただし、症状にはいくつかのパターンが存在します。BCKD複合体の酵素活性が著しく低く、新生児期より上記症状を示すClassic型、酵素活性は低くなく、負荷がかかった時に症状を示すIntremittent型、またその中間を示すIntermediate型やビタミンB1に反応して症状が改善するThiamine-responsive型があげられます。
多くの国では、MSUDを含む代謝異常を早期発見するために新生児スクリーニングが実施されています。血液を分析し、特定のアミノ酸やその代謝産物の異常値を検出します。しかし、症状のパターンにより、全てが検出されるわけではありません。 臨床症状が疑わしい場合やスクリーニング検査後の確定診断には生化学的検査が用いられます。血液や尿中のBCAAやその代謝産物(特にロイシン、イソロイシン、バリン、そして分枝鎖α-ケト酸)の濃度を測定します。特に、尿中の異常な有機酸(例:α-ケト酸)はMSUDの診断に重要です。

従来は生化学的検査のみでMSUD診断とされていましたが、近年では遺伝子検査の重要性が示唆されています。
MSUDではBCKD複合体をコードする3つの原因遺伝子(BCKDHA、BCKDHB、DBT)が同定されています。遺伝子検査ではこれら3つの遺伝子の変異を解析します。

  1. BCKDHA遺伝子:19番染色体の19q13.2に位置し、BCKD E1αサブユニットをコードします。
  2. BCKDHB遺伝子:6番染色体の6q14.1に位置し、BCKD E1βサブユニットをコードします。
  3. DBT遺伝子:1番染色体の1p21.2に位置し、BCKD E2サブユニットをコードします。

3つの遺伝子のいずれかに変異があると、BCKD機能が低下または欠失します。 もしお子様がMSUDと診断された場合、ご両親も遺伝子検査を受けることが推奨されます。MSUDに関わる3つの遺伝子は常染色体劣性遺伝形式を示す為、二つの劣性対立遺伝子が揃わないと、その表現型として現れません。つまり、ご両親は症状がなくてもキャリアである可能性があります。
キャリアとは、これらの遺伝子の一方に変異があるが、もう一方が正常であるため発症しない人を指します。劣性遺伝病は、キャリアの両親からの遺伝によって発症することがあり、同変異を持つ二つの対立遺伝子が揃う場合(Homozygeous)及び、異なる変異をそれぞれ両方の対立遺伝子に持つ場合(Compound Heterozygous in trans)に発症する可能性があります。変異部位の特定は遺伝子解析や遺伝性疾患の研究において重要であり、疾患の原因を特定するために使用されます。

ご両親がMSUDの変異を持っていることが分かった場合、次のような選択肢が考えられます。

  1. 出生前診断
    • 羊水検査
      • 妊娠15週目(当院では17週以降)以降に羊水を採取し、胎児のBCKDHA、BCKDHB、DBT遺伝子を解析します。
    • 絨毛膜採取(CVS)
      • 妊娠10〜13週目に行うことができ、胎盤の一部を採取して、同様に遺伝子検査を行います。
    • 無侵襲性胎児遺伝子検査(NIPT)
      • 母親の血液から胎児のDNAを検査し、遺伝子変異を検出します。
      • 確定診断のためには追加の検査が必要となる場合があります。
  2. 着床前遺伝子診断(PGD/PGT-M)
    • 体外受精(IVF)
      • 受精卵が胚盤胞に発育した段階で細胞を採取し、遺伝子検査を行います。
      • 正常な遺伝子を持つ胚を選んで子宮に移植します。
  3. 遺伝カウンセリング
    • 専門の遺伝カウンセラー
      • 遺伝カウンセラーは、遺伝子のリスク、検査方法、妊娠に関する選択肢を説明し、夫婦が最良の決定を下すためのサポートをします。

MSUDは遺伝子の変異によって引き起こされる重篤な代謝疾患ですが、遺伝子検査や遺伝カウンセリングを活用することで、発症リスクの評価や適切な対応策を講じることが可能です。ご両親がキャリアであることが分かっている場合、出生前診断や着床前遺伝子診断といった技術を利用することで、リスクを管理し、健康なお子様を持つための準備をすることができます。
今回1例としてMSUD症例をご紹介しましたが、このように遺伝学的なアプローチでプレコンセプションケアを考えることの重要性が示唆されました。

世界的に「ゲノムファースト」が掲げられるようになった背景には、遺伝子解析技術の著しい向上が関係しています。以前は特定遺伝子の解析のみだったところが、遺伝子パネル<全エクソームシーケシング(WES)<全ゲノムシーケシング(WGS)が実施できるようになりました。ノンコーディング部位、トランスクリプトームやエピジェネティックな制御等についても幅広く解析できるようになり、今まで原因が特定できなかった症例において、数十年かかって診断がついた例もあります。そして、このような解析が可能となったもう1つの要因として、表現型(Phenotype)と遺伝型(genotype)の関係性を特定するデータベースがどんどん構築されてきたことにあります。現在、海外のNICUでは先天性疾患が疑われる場合、WGSが実施されるようになってきたそうです。ゲノムの全領域を調べ、データベースより遺伝子のバリアント(多様性)を検出、病的変異を解析します。データベースで見つからないバリアントは新たにレポーティングされ、データの蓄積がなされています。

まだまだ課題があるものの、「ゲノムファースト」アプローチは、生殖医療において重要な役割を果たすと考えられます。遺伝情報を活用することで、遺伝性疾患のリスクを予測し、適切な予防策を講じたり、最適な治療法を選択したりすることができます。生殖医療の成功率が向上し、お子様の健康と将来の生活の質が向上することが期待されます。