王将

王将

理事長の中村嘉孝です。

将棋ソフトが女流王将を破ったとのニュースを見ました。

小林秀雄に、たしか『常識』というタイトルのエッセイがありました。
「知人が、将棋を指す計算機があるという噂をきいて、その研究所に尋ねてみたら『そんなものはありません』と笑われた。それは常識で考えれば当たり前のことで、計算機は、計算はできるが、人間のように判断はできない。」という内容でした。

しかし、数十年後の今日、計算機がチェスや将棋を指すことができることは、「常識」です。
コンピュータは日々、人間に近い「判断」ができるようになってきていますし、むしろ、人間の判断というものは単なる機械的なプロセスにすぎないのではないか、とも考えられています。
実際、最近の脳科学の研究では、人間の自由意志さえ、本当にあるのかどうか疑わしくなっています。

生殖医療技術も、コンピュータや脳科学と同様に、世の中の「常識」を揺さぶるがゆえに、大きな倫理問題を引き起こしています。
これらの科学が提示する機械的人間観を、社会はどうのように受け入れることができるのでしょう。
小林秀雄のように「常識」と一蹴するのも一つの見識なのでしょうが、今となっては、もう少し高度の修辞法が必要だと思います。

とはいえ、機械的人間観が人間の尊厳をそこなうとは、私は思っていません。

クローン人間ができようが、ロボットが会話しようが、一人一人の人生は、その人のものです。
そして、吹けば飛ぶような将棋の駒に命を懸けてしまうのが、人間であり、人生なのだろうと思っています。

ちなみに同じボードゲームでも、囲碁のソフトはまだ、とうてい人間には及ばないとのことで、少し安心しました。もっとも、初級モードでも私はいつも負けますけど。