理事長の中村嘉孝です。
東浩紀と宮台真司の対談を収録した、『父として考える』(NHK出版)を読みました。かつてオタクを擁護した東と援交少女を擁護した宮台が、親となって一体なにを語るのかと、興味津々だったのですが、肩透かしでした。
もっとも、お二人ともご自分では過激な発言をしているおつもりのようなのですが、温かい家庭が透けて見えます。
それはそれで微笑ましいのですが、議論としては中途半場でした。
たとえば、彼らも自分の娘の援助交際は、「道徳的に」許さないであろうはずなのに、どうしてそれを援護することが可能なのか、答えはありませんでした。
また、社会評論が難しいなと思うのは、しばしば、世知に長けた者なら当たり前のことであったりすることです。例えば教育論の中で、東は次のように言っています。
「女の子だと…(略)…、善し悪しとは別に、またその現実を追認するのが政治的に正しいことかどうかとも別に、結局はいい男をつかまえちゃえばなんとかなるのかも、というバックドアがそこに見えてしまう」
これを「バックドア問題」と大げさに呼んで二人で議論しているのですが、これはスナックのママなら、わかり切った話でしょう。むしろ、そのような現実の制約の中にありながらも、どのような生き方をしたいのか模索するのが人生でしょう。
一方、共感できたのは、東の次の発言でした。
「そもそも子どもの誕生は、親にとっては本質的に偶然なはずです。
いくら計画的に子どもをつくったと言っても、どの精子がどの卵子に受精するかなんてわからない。
けれども、それは子どもにとっては運命そのものです。」
ここでは「偶然」とされていますが、要はどんな形で生まれ方であっても、それはその子にとっては運命そのものであって、かけがえのない人生の始まりです。