理事長の中村嘉孝です。
そもそも、「インフォームド・コンセント」というのは、生命倫理から出てきたのではなく、アメリカで医療裁判のために生み出された考え方でした。
何か手術をしたけれども、合併症で死んでしまった。だけど、合併症だから、裁判しても賠償をとれない。しかし、もし、手術前にそんな合併症があると聞いていたら、手術は受けなかったかも知れない。その説明がなかったことについて、賠償してもらいたい。
そういう論理です。確かに、そうやって法的に救済しなければならない場合もあると思います。
しかし、それが一般的な倫理的義務なのだと言われると、前回のような事態になってしまいます。
現実には色々なタイプの人がいるのに、あくまで、合理的にものごとを判断し主体的な選択を行うという、理想化された近代的な人間像を前提としなければなりません。
そもそも、主体的な選択とは一体どういうことでしょうか。
最近の脳科学の進歩で明らかになってきたのは、人間が「自由意志」をもっているかどうかも、本当のところ、あやしいらしいのです。
話が大きく膨らんできてしまったので、また、改めて。