不妊治療と倫理問題

不妊治療と倫理問題

理事長の中村嘉孝です。

前回のような事情で不妊治療をメインとするようになったわけですが、生殖医療には、ご存じのように色々な倫理問題があります。それも大学病院のような研究機関ではなく、私どものような民間のクリニックで代理母や卵子提供が行われ、それが社会的議論となっています。

しかし、幸いなことに思春期診療とちがい、相談にきたご夫婦に、医者が診察室で意見をすることは期待されていません。学会が倫理規定をもうけていますが、社会的議論が続いているので、診察室では中立的に技術論だけを語ることがでます。

そもそも、学会が倫理規定を設けるということに私は違和感を覚えます。
学会というのは科学を発展させるための組織であり、新たな知見によって常識を覆し社会にインパクトを与えるのが科学の役割のはずです。

そういうと、「では、科学技術の暴走を許すのか」と思われるかも知れませんが、科学楽観主義をいいたいのではなく、私も、社会が科学技術の暴走をくい止めたいと考えるのは当然と思っています。
しかし、それは科学者が自律的に行うべきものではないと考えているのです。

科学は本質的に価値中立であり、科学者は科学的知見を示すことができるだけで、その社会的発言は一市民としてのものでしかありません。

ときどき、「科学者の社会的責任」などということが言われますが、社会に対して技術の要点を説明し、問題を提起するのが科学者の責任で、解答を示すのは社会の責任です。

科学者が自らの道徳的判断を織り交ぜた規範を作り出すのは、科学者としての矩を越えた振る舞いだと思います。

ですから代理母のような問題も、法律によって外部から規制されるか、少なくとも、学

術団体である学会ではなく、医師会のような業界団体が行うべきことだと思います。


実際、代理母についての規定など、その内容はトンチンカンとしか言いようがありませ

ん。生まれてくる子の福祉を重視するため、代理母を禁止するとありますが、どんな形でも、

生まれてきた子にとっては自分の人生なわけで、その福祉を重視するから生まれてこな

い方がよいという論理はありうるはずがありません。それに、倫理、倫理といいますが不

倫というまさに「非倫理的」な方法でも、子どもは生まれてきます。子どもは親の勝手で

生まれるもので、他人がとやかく口を出すべきではないと私は思っています。



ところで、先ほど、科学は価値中立だと書きました。確かに、倫理、すなわち道徳規範

は社会がつくりだすもので、事実を記述しているだけで価値判断を持たない科学は、道徳

とは何の関係もないように思えます。しかし、科学が道徳について、全く何も言えないわ

けでもなさそうです。最近わかってきたことは、道徳観念というもの自体に、どうも生物

学的な根拠があるらしいのです。