理事長の中村嘉孝です。
前回、更年期のホルモン補充療法について書きましたが、漢方薬や鍼灸など、代替医療については触れませんでした。
代替医療というのは健康食品や鍼灸などのことですが、何の代替なのかといえば、いわゆる現代医学の代わりということでしょう。
しかし、効果があるなら現代医学の一部とすればよいだけで、どうして「代替」医療など必要なのでしょうか?
あるいは、医者の頭が凝り固まっていて、その効果を理解しようとしないから、現代医学に受け入れられないのでしょうか?
例えば、漢方薬について考えてみると、効果が疑わしいものもある一方で、明白な効果のある漢方薬があるのは言うまでもありません。
しかし、色々な成分が混じっている漢方薬をそのまま使わなくても、有効成分を抽出すればよいはずです。
そうすれば、それは漢方薬ではなく、単なる現代医学の薬剤の一つとなります。
「いや、そうではなくて全体で効くのだ」というご意見もあるでしょうが、それなら、補助的な役割をしている成分も抽出して配合すればいいだけの話です。
漢方薬にせよ鍼灸にせよ、その科学的本質を現代医学のフレームワークで扱えばすむだけなのにそうはなりません。脈診や経絡といった独自のドグマティックな理論を語ることを止めないので、サイエンスを基礎とする現代医学と、根本的なところで相容れることはないと思います。
とはいえ、現実には病院でも当たり前のように漢方薬が処方されています。明白な効果のあるものでなくても「物は試し」と処方する場合もありますし、何より患者さんからの希望もあります。
ご存知かと思いますが、最近、これが事業仕分けの対象になって、議論が紛糾しました。
「医療費の無駄遣い」という仕分け人に対して、マスコミで知識人から批判が相次ぎました。
彼らの主張は「効果があるのは明らかなのに」ということでしたが、議論の本質はそこにはないと思います。
もちろん、漢方薬といって十把一絡げに否定するのはどうかと思いますが、漢方薬全体を「効果がある」と擁護するのもおかしな話です。有効性の問題なら、科学の話です。
他の薬剤と同じように臨床試験で評価すればよいだけで、実際そうすると、効果が乏しいというデータしか得られないから問題にされているわけです。
有効性をいうのであれば、データについて科学的議論をすればよいだけです。
だいいち、いつも「日本の医者は安易に薬を出す」と批判されているのに、なぜ漢方薬については逆を言うのでしょうか。
それは、彼らが本当に擁護しようとしているのは、「神」に他ならないからでしょう。
代替医療の真価は、EBMにおける有効性ではなく、現代医療=科学主義へのアンチテーゼとなることにあります。科学への漠たる不安ないしは嫌悪は、医者である私自身にさえあり、コカコーラを飲むたびに、「本当は生絞りジュースにしといたほうが体に良かったんじゃないか」と不安になります。
これは形を変えた「神」の姿なのでしょう。
ですから、代替医療の有効性を科学的に論じること自体が本末転倒だと私は思います。
代替医療の真の価値は、単なるプラセボ効果さえ越えて、「現代医学ではなく、代替医療を受けているのだ」という精神的充足にこそあるからです。
しかし、現在の代替医療に対する行政の態度は、消費者保護のためでしょうが、有効性のエビデンス(科学的根拠)を求める方向に傾いています。
確かに、「このままじゃ、がんになる」と脅して法外な値段のものを売りつけたりするような例はいくらでもあります。でも、それらは悪徳商法として取り締まればいいわけで、ただの健康食品の謳い文句に目くじらを立て、「臨床試験をして特定保健機能食品に承認されなければ、効能を書くのは許さない」と取り締まって回る必要はないでしょう。
そして、健康にかかわるといっても、更年期のホルモン補充療法の例をみてもわかるよう、EBMの実態もさほど確かなものではありません。代替医療のような、あっても緩徐かつ微細な効果について議論を確定させることは不可能です。よほどの問題がなければ、大人の判断に任せればすむことだと思います。
しかし、助かるはずのがん患者に手術を受けるより良いと勧めるなど、生命に直結しているような場合、話は別です。それが悪徳商法でなく、見当はずれの信念による場合であっても、絶対に行政が介入すべきでしょう。にもかかわらず、なぜか行政が、そのような命に関わる奇妙な信念を後押ししている事例があります。
それこそが、当院が分娩の取り扱いを止めざるを得なかった理由でした。