エイリアン

エイリアン

理事長の中村嘉孝です。

自民党の石原幹事長が、胃瘻の高齢患者をみて「エイリアンみたいだ」と発言、それに対して、小宮山厚労大臣が、「胃瘻で命をつないでいる患者の家族の気持ちを不快にする」と苦言を呈したという報道がありました。

私は「エイリアン」というのは素直な感想と思いますし、同時に、それを「家族が不快に思う」というのも、もっともだと思います。
むしろ問題の焦点は、いつまでそのような下らない議論を続けるつもりなのか、ということだと思います。

生命至上主義が行き詰まりを見せているばかりか、グロテスクの様相を呈しているのは、すでに誰の目にも明らかで、医療経済の観点からも問題なのも、分かり切った話です。

しかし、なぜ簡単にはいかないのかというと、なによりも司法の問題があるからです。
「助かるはずの命」に治療を中止すれば、法的には「殺人」と言われてしまうわけですから、絶対に法的責任を問われないという担保がなければ、中止できるはずもありません。

さらに言えば、どのような患者なら胃瘻を中止すべきなのかを決めることも簡単ではありません。
例えば、気管切開や胃瘻になるといっても状態は色々で、頭がしっかりしていてコミュニケーションがとれる場合もあれば認知症の場合もあります。

意識障害といっても、反応して笑う場合もあれば、完全な植物状態のこともあります。
私の父は脳卒中で植物状態になりましたが、以前から世間話の中で考え方を何度も聞いていたので、主治医からは強く勧められましたが胃瘻を断り、家に連れて帰って看取りました。
専門外とはいえ、自分が医者をしていたからできたことで、本当によかったと思っています。
一方、義父は嚥下障害で胃瘻をつくりました。寝たきりでしたが、亡くなるまで頭は明晰なままでした。

病態が色々で、程度も連続的なので、どこからは処置を中止すべきなのか、法的に具体的な基準を考えなければならないのに、いまだに「エイリアンだ」、「失礼だ」という議論では、どうにもなりません。

まるで、遠い世界の話のようです。